「クリエイティブ」「リスクを冒す」日本の若者が消極的なのは教育のせい?

最近、偶然↓の記事を読んで、すごく印象に残りました。

世界一「チャレンジしない」日本の20代 (2015年12月1日 Newsweek日本版)

この記事では、大まかに要約してしまうと・・・日本の20代は他国の同世代と比べ、

「新しいアイディアを思いつき、クリエーティブであることを大切にしている」
「冒険してリスクを冒すこと、刺激のある生活を大切にしている」

という2点について、「自分はそうではない」と評価している割合が極端に多い。

つまり、クリエイティブであることやリスクを冒してチャレンジするということに、日本の若者は突出して消極的である、という研究結果を紹介しています。

もちろんパースに住んでいる私としては、「オーストラリアはどんな結果なのかなぁ~」と思いましたが、残念ながらオーストラリアのデータは表記されていません。
元データに当たってみようとも思いましたが、ちょっと探し出せませんでした。

ただ、私自身、40年間日本の社会・日本の教育しか知らなかった身として、この記事が言わんとしていることにはとても考えさせられました。

というわけで今回は、私がパースに来て、こちらの教育に触れて感じた日本との違いを、ちょっと書いてみたいと思います。


クリエイティブということが大切にされている

2年半前に家族でパースに来てから、子どもの学校を通じて、日本とオーストラリアの学校教育の違いには幾度となくハッとさせられることがありました。

その一つとして、こちらの学校教育の中では、「クリエイティブ」ということと、「リスクを取る」ということが、日本よりもずいぶんと重要視されている、と感じたことがあります。

まず、「クリエイティブ」ということについてですが・・・。

 

我が家の話で恐縮ですが、息子は物を作ることが大好きです。以前、自分が作った工作を毎日学校に持っていく、という話をブログに書いたことがありますが、彼は結局、今年が終わるまで(あと1週間ほどありますが)ほとんど毎日、続けました(笑)。

最近では、学校で習った太陽系(Solar system)の惑星を作ったり、車や飛行機を作ったり、クジラやサメなどの海の生き物を作ったり・・・が好きみたいです。

これはザトウクジラ↓。

photo3

息子がいつも私に、たとえば「木星の写真をプリントして!」というので、ネットで画像を探してプリントしてあげると、それを見ながら1人で工作します。

↓こんなふうに。

photo1

お菓子の空き箱などを使ったり、プリンター用の白い紙を丸めたり折ったりして、思い通りの形を作り上げます。時間があれば、絵の具で色を塗ったり・・・

うちはいつも、息子の作品と紙くずで大変なことになっていますが(笑)。

それでもありがたいことに、学校に持っていくと、迷惑がられることはありません。皆から「すごいねー」「それは何?」と言われ、周囲の反応を息子なりに楽しんでいるようです。
そして、先生や周りの親から言われることが、「この子はクリエイティブだね~」ということです。

実際に、担任の先生も「クリエイティブということは重要です。自分の頭の中のイメージを現実と結びつけること。私は子ども達のそういう力を後押ししたいと思っている。」と言っていました。

親から見ると、ただ家を散らかすだけで、作っている物だってよくわからないものばっかり、なんですが(笑)。

周りの人の言葉から気づかされることも多いですね。

高学年の学習内容はわかりませんが、息子の学年では(pre-primary)、絵を描いたり工作をすることがかなり頻繁に授業で取り入れられている気がします。
その際に、うまく出来たかどうかは、あまり気にしていないような・・・

まずは自分の好きなように作る、ということが重視されているように思います。

使う素材も、工作用の羽やポンポン、ラメやモールなど、いかにも子ども達が「楽しい!」と感じるようなカラフルな色味や素材がよく取り入れられています。

photo5

↑ポンポンやモールなどを使った、カラフルなモンスターたち。

うまくできるかどうか、ということ以前に、「何かを工夫して作ってみる」という姿勢そのものを育てよう、という感じが、私はするんですね。

 

日本人はクリエイティブじゃないのか?

ただ私は、日本の人達が海外の人に比べてクリエイティブじゃない、とは思わないのですが。

たとえば同年齢の幼稚園年長さんなどは、たぶんもっと高いクオリティの作品を作るんじゃないか、と思います。
娘の幼稚園時代には、この時期に水彩画でもっと緻密な絵を描いたり、共同して壁画を作ったり、木工をしたりしていました。

何かを作る、という意味では、むしろ日本人の方が器用だし、独創的で繊細な作業ができるのでは、と思います。

では、どうして日本の若者は世界一「クリエイティブ指向ではない」という結果になったのでしょうか。。。

日本でも、小学校ではさまざまな作品作りに取り組んだりしますよね。
教育現場では、「創造力」とか「創意工夫」といった言葉も見られますし、クリエイティブであることはそれなりに求められていると思います。

ですが、私自身の遠い記憶を思い返すと、私自身が「クリエイティブであること」に喜びや楽しさを見出したのは、実は大人になってから・・・だと思います。

私自身は、まだ娘が小さかった頃、子育てで自由に外に出ることもできない、自由になるお金もない、自由な時間もない、という限られた状況の中でできることを探して、小さな手作りをはじめました。服や雑貨の手作り、DIYで棚作り、またお菓子作りや梅干しづくりなどの食品。。。

家の中なら、失敗してもうまくいかなくても、誰にも叱られない(笑)し、自分のセンスやアイデアを誰にもバカにされたり比べられることがありません。

自分で調べながら、あるいは人に教えてもらいながら、自分のアイデアやひらめきを具現化していうことは、とても面白い作業でした。また、そうして自分が工夫してやってみたことが、ダイレクトに自分自身の生活を改善していくことにつながるので、充実感もありました。思い通りにいかないこともあるけれど、それよりも自分でアイデアを巡らせて工夫して実現していくことの面白さの方が、ずっと勝っていたと感じます。

私は自分が社会から離れて、家の中という場所で、初めて「クリエイティブであること」の喜びに気付くことができたのかな、って思います。
そして周りにも、ネット上にも、そうやってできる範囲で、創造力を働かせて作品作りをする人達がたくさんいました。モノづくりが好きな人って、結構いるんだなーと思ったものです。

それでも、クリエイティブであることは楽しくて充実していても、それは「ただの趣味・楽しみ」「役には立たない」と、私自身、ずっととらえていました。

その価値観が変わったのが、パースに来てから。

海外では結局、自分が食べたいものも、欲しいものも、自分で工夫して作り出すしかない、ということが山ほどあります。また、自分で作れるということが大きな節約につながることも。

そんな時、自分が日本でやってきた「ただの趣味」が、価値のある、必要不可欠な生活スキルであることに気が付きました。また、自分で工夫してやってみる、という習慣が、一歩日本を出ると、生きる上でたいへん重要な姿勢であることにも気が付きました。
生活の中で「クリエイティブである」ということは、海外の環境では生き抜くための知恵とすら言えるかもしれません。

ちなみにパースでは、自宅の壁を塗ったり、庭にレンガを敷いたり、といった家の修繕も、自分でやるのが結構ポピュラーです。プロに頼むと高いので。
また、不要なテーブルや本棚などの家具を、無料で人に譲ったり、それをまた直してキレイに塗って使ったり売ったり、なんていうことも、結構当たり前に行われています。
もちろんすべての人がやるわけではないけど、なんていうか、社会のしくみとして当然にそういう習慣が存在している、という感じです。

身近にある物で「こうしたらもっと便利では」と考えて、自分で実現する。。。
そうやってみんな、自分のアイデアで生活を改善していくんですね。
たとえ技術がプロ級じゃなくても、関係ない(笑)。とにかくまず、自分ができる範囲でやってみる。

でも、日本では、当たり前にある価値観として、自分で工夫して何かオリジナルのものを作り出すよりも、「みんなと同じであること」「完璧であること」が求められるのかなー、と思います。

時間をかけて試行錯誤して、何かを作り出すよりも、その分の時間働いて、お金を稼いで、そのお金で既製品を買う方がずっと価値があるのでは?
人生としても、その方が価値があり、すぐれた生き方ではないか?

という考え方が、自然と日本の社会に根付いているのかなーと思います。

確かに、日本では物もサービスも豊富なので、ちょっとお金を払えばたいていのものは手に入ります。
けれどそのことが、逆に個人が独自に考える機会を奪っている、と言えるかもしれません。

原因は一言では言い当てられないと思いますが、「日本の若者がクリエイティブ指向ではない」ということではなく、日本の社会ではクリエイティブであるということが(海外と比べて相対的に)重要視されていない、ということでは?そういう現状をこの研究結果は率直に表していると感じます。

 

チャレンジそのものに価値がある

photo4

先にも書いたことと通じますが、こちらの教育の中では、「うまくできるか」よりも「やってみる」ということそのものがより重要視されているのではないかと思います。

「冒険してリスクを冒すこと」や「刺激のある生活」というのは、まさに「新しいことにチャレンジしてみる」「前例がないことにトライする」という姿勢ではないでしょうか。

これまた息子の話ですが、先月、彼は学校で水泳の授業を受けました。
でも息子は泳げないんですが・・・。
ある時、先生の指導に従って水の中でジャンプしようとしたら、うまくできなくて沈んでしまったそうです。

その時先生が言ったこと。

「Good try!!」

うまくできなかった時も、やってみようとしたことに対し、声掛けをする。
私は、いい言葉だなーって思ったんですね。
何気ない表現だけど。

私は子ども達から学校の色んな話を聞きますが、こういう場面は多いな、と感じます。

あるいは、娘のプライマリースクールの時の評価項目には、「学習においてリスクを取る姿勢を示しているか」というものがありました。
ちょっと抽象的な表現ですが、「うまくいくかどうかわからないことでも積極的にやってみる」と言ったことなのかな、と思います。
リスクを取る姿勢というのは、評価されるべきものなんですね。

また、学校教育だけに限りません。

私がある時、近所のホームセンターのガーデニングコーナーで、お店の人にある植物について質問した時に、

「興味はあるけど、うまくできるか自信はないけど・・・」みたいなことを言ったら、

「心配いらない、やってみることが大切よ、誰もが最初は初心者。Try, try!!

とスタッフの女性に言われたことがあります。


こちらに来て感じたこととして、やってみる、という姿勢が(日本と比べて相対的に)価値を置かれているな、ということです。
そして、うまく行けばもちろん「すごい!!」となるし、うまく行かなくても「Good try!!」なんですね。

教育、といった学校の中だけに限らず、なんていうか、社会の中で空気のように存在している価値観として、そういうことを感じました。

それに比べると、これはよく言われることですが、日本では新しいことをやってみる、ということ自体が、重要に見られていないような気がします。
それよりも、今まで通りに・失敗なく・きちんとやる、ということの方がずっと価値を置かれていると思います。

たとえば組織の中で、「これは問題だな、よくないな」と思うことがあった場合。。。それを改善するために新しいルールや手法を導入する、という選択もあるけれど、それをやったら今までのやり方を変えなくてはならない、、、結局それに対応することが手間だったり、思ったほどうまくいかないかもしれない、という判断が働いた結果、「愚痴や文句を言い続けながらも、今まで通りにやっていく」という道を選んでしまう。

そういうことって、珍しくないような気がします。

もちろん、社会や政治に関わる大きな問題は、新しい判断に対しては必ず批判が起こるものだし、そう簡単にリスクを取れないのもわかります。

が、たとえ失敗しても他人に損失を与えないような、非常に個人的なことすら、チャレンジをめんどくさがってしまう。。。それは日本の社会の中に、「やってみること」そのものよりも、「うまくできること」を非常に重要視する価値観があるのだろうと思います。

でも、、、うまくいくかどうか、なんて、やってみなきゃわからないんですよね。

小さな子ども達を見ていると、どんなことでも、大きい子の真似をしてやってみようとすることがありますよね?
あるいは遊びの中で、思いついたことを次から次へとやってみたり。
それで親をハラハラさせることもありますが・・・(笑)
でも、そういう気持ちや好奇心が、どんどん成長につながっていくし、何よりそういうことに集中している時って、本人はとっても充実して楽しそうですよね。
たとえば、そういう子どもの好奇心に、日本人もオーストラリア人も〇〇人も、関係ないと思うんですよ。

では、いつからこんなふうに、「日本の若者はリスクを取る意欲が際立って低い」というふうになっていくんだろう・・・ということは、すごく考えさせられます。

若者たちが「新しいことにトライしようと思わない」環境を作ってしまったものは何なのか、誰もが自分のこととして考えるきっかけになるのでは、と思いました。

 

海外に「行ってみる」ことのメリット

今回の研究から、日本の若者は「クリエイティブであること」や「リスクを冒してチャレンジすること」について自己評価が際立って低い、とまとめられそうですが、日本の若者は・・・と嘆くのはまったくのお門違いだと思いますね!

これはまさに、上の世代がせっせと築いてきた日本の社会の価値観を素直に反映しているのだ、と私は思います。

時間をかけて工夫しながら、自分のアイデアを具体化し、現実に生かすこと。

とか、

失敗したとしても、新しいことにチャレンジしてみる、やってみるということ。

そういう姿勢に、私達日本の社会は長い間、価値を置いてこなかったのでは?

代わりに、10年後も20年後も同じ生活をしていること、皆と同じ生活をしていること、自分の1分1秒(人生)をお金に変えること、、、

そういったことを最重要視してきた結果なのかな、と思います。

でも、、、日本の中にも、自分自身をみつめ、自分の大切なものを見失わず、クリエイティブで新しいことへのチャレンジをいとわない人たちもたくさんいると思います。
時には肩身の狭い思いをしながら、苦しい生活をしながら、周りから理解されずに・・・。
日本のアニメ文化、昔ながらの食文化、クラフト・・・などは、日本ではお金にならない仕事ばかりじゃないですか???
でも、そうやって日本の社会の片隅で、ひっそりと自分のやりたいことをし続けている人達こそが、世界の中で日本の独自性を築いているのかもしれないなー、なんて私は思うことがあります。

日本で役に立たないと言われてきた自分の特技や「好きなこと」が、すごく価値を置かれている世界もあるかもしれません。
そういうことに気づくためにも、若い人達にはぜひ、チャンスがある限り海外へ「行ってみる」ということをすすめたいです。


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Chieko
2013年より、西オーストラリア・パース在住。
7歳の息子、15歳の娘、夫と4人暮らし。

オーストラリアをテーマにしたライター。得意分野は、食、生活、子育てに関すること、子連れでの観光・旅行(キャンプ)。
趣味は料理・ガーデニング・DIY・音楽。

オーストラリア生活で私が学んできた英語のことと、大人の英語勉強法についてつづるブログ「話す英語。暮らす英語」も更新中。
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