震災&原発事故から5年、オーストラリアの「過去と今」から考えた。

先週の3月11日、東日本大震災と福島第一原発事故から、5年が経ちました。

日本国内のみならず、オーストラリアのニュースサイトでも、この話題を取り上げたニュースを目にしました。

多くの方々が、さまざまな心境でこの日のことを考えたのではないでしょうか。

今回は、ちょっとシリアスな話題ですが、私なりにこのことについて、書こうと思います。
・・・お付き合いいただければ幸いです。

 

震災&原発事故から5年。現状のこと。

5年たち、死亡が確認された方々は15894人、依然として行方不明の方々は2561人。
さらに、震災後の避難生活が原因など、直接の災害を生きのびたのに関わらず、亡くなられた方々の「震災関連死」は、3407人。
依然として17万4000人あまりの人々が、避難生活を送っています。

 

このようなデータを見た後、5年。。。という月日を、どうとらえたらよいのか、正直戸惑いを感じます。
「避難」をいう言葉は、一時的な状況を指すはずなのに、「17万人」も、「5年」も、避難を続けているという事実。
それがいつまで続くのか、見通しが立たないということが、何よりつらいのではないか。。。と想像します。


福島第一原発では、原発事故の収束作業が進められています。
メルトダウンした核燃料は、いまだにどのような状態でどこにあるか、わかっておらず、取り出しが可能なのかどうかも見通せない状況です。
ただ、その核燃料を冷やし続けなければならないために、現在も注水が行なわれており、それで高濃度に放射能汚染された水がどんどん増えていくことだけはわかっていますが・・・この対策も未解決。その汚染水は現在約80万トン、1000基のタンクの中で、福島第一原発の敷地内に保管されています。
年内には、汚染水は100万トンに達する見込み。
第一原発構内では、常時6000人~7000人の作業員の方々が、収束作業に尽力しています。
コンビニができたり温かい食事を提供できる食堂ができたり、と、作業環境は徐々に改善されているようです。
が、人手不足、下請け作業員に対する不当な賃金の未払い、安全対策など、課題も残っている様子。

原発事故で避難区域となった場所から避難を強いられている方々は、現在約7万人。これから地域ごとに、段階的に避難指示解除が行なわれていく見通しです。
「避難解除」と聞くと、元通りの暮らしに戻れる、、、というイメージがあるかもしれませんが、実際に、昨年9月に避難指示が解除された楢葉町では、全人口の約6%しか帰還していないとのこと。若者や子育て世代の多くは、放射能の不安、病院・学校・仕事などの生活環境が整っていないことから、新しい土地で生活再建を選ぶ人が多いそうです。
つまり、政府や行政が「帰還」と号令をかけても、町が生活の場として成り立っていない。一度原発事故で崩壊してしまったコミュニティを元に戻すことは、本当に難しいことなのかもしれません。。

そんな中、原発事故により被害を受けた商工業者への賠償は今年度で打ち切られます。東電から支払われている住民一人あたり月10万円の慰謝料は2年後に終了。
避難指示が解除されれば、全額免除されていた医療費や、固定資産税の一部が自己負担になるとのこと。固定資産税は、たとえ住んでいなくても、家があれば支払わなければなりません。

避難指示区域ではないが、被ばくを懸念して避難している「自主避難者」に対する住宅の無償提供も、来年で終了。

特に原発事故を巡っては、過去の出来事として語ることはまったくできない、この先にこそ課題難題が待ち受けている状況だ、ということがわかります。

 

原発事故のことを考える時、私はいつも、「今自分が存在する海外の暮らし」「今までと変わらない日本」「今現在日本で進行している途方もない原発事故」、この3つの時間軸が、パラレルワールドのように別次元で進行しているように感じます。
けれどそのどれもが、確かにリアルであり、そのことに私はどう処してよいのかわからなくて、もやもやと不安な気持ちになります。

震災や原発事故が原因で亡くなられた皆様のご冥福をお祈りすると共に、ご家族・友人を亡くされた方々、いまだ再会できない方々、今もなお元の生活に戻れずに苦痛を強いられているたくさんの方々が、一日でも早く穏やかな暮らしを手に入れられる日が来ることを心から願います。

 


核実験で被ばくしたオーストラリアの兵士達の話

そんな中、偶然にも震災から5年目を迎える前日、私はオーストラリアのニュースでこんな記事をみつけました。

New generations of Australian families suffering deformities and early deaths because of ‘genetic transfer’

以下に、かいつまんでまとめます。正確に内容を知りたい方は、原文を読んでみてください。

1950年代から60年代にかけて(それ以降もですが)、世界中で核保有国による核実験が行われました。
アメリカが行なった太平洋上の核実験は、日本の漁船が実際にその被害に会ったことで、日本でもたいへん有名な話ですが。

オーストラリアでも、この時代にイギリスが核実験を行いました。

その核実験では、オーストラリア軍の兵士達が実験作業のための任務を行ったんですね。
どんなことを行ったのかはわかりませんが、核爆弾を爆発させた敷地内で、検証や片づけなどの作業を行ったのかな、と思います。

このニュースは、その兵士達が、彼らの子ども達・孫達の世代に深刻な病気が多発している、と訴えているというものです。
具体的には、腫瘍(ガン)、ダウン症、口蓋破裂症、脳性小児麻痺、自閉症、骨の欠損、心臓病、、、など。
深刻な先天性の病気を持って生まれてきた子がたくさんいる、というのです。
また、流産・早産や死産も多く、子の世代にもそれは起きている、ということです。

核実験場で働いた兵士たちの証言がまとめられている文書によると。。。

たとえば、核実験から約30年後の1990年代に生まれた、このような兵士達の子どもの100人が「脊椎の欠損を抱えて生まれ、生涯車いすが必要な子」「背中に余計な骨や欠損している骨がある子」「肛門のない子」「歯の奇形がある子」・・・などの先天性の深刻な病気を持っていたそうです。
多くの場合は、兄弟姉妹もそれぞれの健康上の問題を抱えていたり、また孫の代でも健康上の大きな問題が見られたそうです。
こうした子ども達は、病気をかかえ、若くして亡くなったケースが多いとのこと。

ニュースに出てくる、マラリンガ核実験場(南オーストラリア)で任務を経験したバチェラーさんによると、兵士たちは、核爆弾が爆発し、放射性物質が降り注ぐ中、ただ帽子、短パンにブーツという軽装で、作業をしていたということです。
オーストラリアで核実験が行なわれた場所は、他にエミューフィールド(南豪州)、モンテベロ諸島(西豪州)がありますが、実験に関わった兵士たちはみな、リスクを知らされることはなく、多くの人が同じ運命をたどった、ということです。
バチェラーさんはその後、任務を終えて帰還し、12カ月後に生まれた子どもは、奇形児で死産でした。
さらに9年後に生まれた2人の子どもも、健康上の問題を抱えて生まれました。マラリンガに行く前に生まれた長男だけが、いつも健康でいるそうです。
バチェラーさんは、マラリンガでの被ばくによって、自分の精子がダメージを受けたのだ、と考えています。


しかしオーストラリア政府は、彼ら兵士達とその子ども達に起きたこのような病気と、核実験の時の被ばくの影響との因果関係を、今現在も否定しています。
2003年には、彼ら兵士たちは、イギリスが行なった核実験に参加した時の被ばくが原因でこのような病気や死が起きていることを、連邦政府に調査を求めました。。。が、放射能の影響だと証明することは不可能だ、という理由で、却下されました。

オーストラリア退役軍人援護局は、「このような病気が被ばくの影響だという報告は受けていない」「ヒロシマ・ナガサキの知見から、被ばくの影響でこのようなことはおこらないはず」「兵士たちの被ばく量は、(放射能がこれらの病気の原因となるには)ごくわずかである」
として、被ばくの影響を認めていないということです。

そのため、ほとんどの兵士たちは、病気になったり、病気の子どもを抱えたりしながら、被曝を理由に政府の補償を受けられたことは一度たりともありません。そして、彼らが苦しんでいる症状が、「被ばくのせいである」と正式に認められたこともないのです。

このニュースは、核実験に参加したオーストラリア兵士達のことでしたが、もちろん、元々そこで暮らしていた、核実験とは何の関係もないアボリジニの人々も被ばくをしたと言われていますし(その実験場はもとは彼らの土地だった)、一般の人達も被ばくをしたと言われています。

 

これからのあまりに長い道のり

もちろん、これらオーストラリアの核実験と、日本で起きた原発事故とは、さまざまな点で状況が違うし、オーストラリアの核実験については、私は具体的な放射性物質の数値なども、詳しいことも何も知りません。

だから、こうした病気が実際にこれからの日本でも起こるかどうか、について、ここで議論するつもりではないです。

 

ただ、私が改めて思ったのは、「放射能の被ばくの問題は、何十年もかけて続いていく」ということです。

オーストラリアでは、核実験から何十年も経って、2世代、3世代という月日をかけて、健康被害の証言が蓄積されている。
このことを、忘れてはならないと思いました。

福島原発事故から5年が経ち、大きな被害はなかった、と考えている人は多いと思います。

でも、原発事故の放射能が引き起こす問題、あるいは「問題があったかなかったか」なんてことは、5年という今の段階では、とうてい語れないということ。。。これは言えるんじゃないでしょうか?
事故から5年経ったこの先こそ、「原発事故がどんなものだったか?」を何十年もかけて私達は知ることになるでしょう。

私達日本人は、本当に重い運命を背負ってしまった。。。と感じます。
過ぎた「5年」という月日に反して、この先のあまりの長い道のり、その途方もなさ。
もちろん、福島第一原発の廃炉についても、数十年という見通しが立てられていますが、その方法については依然メドが立っていない状態です。

核の事故というのが、他の災害や事故と比べてすさまじく特殊である、ということを忘れてはならないと思います。


もう一つ。

私達が心にとめておかなくてはならないことは、「国は被ばくの影響を認めない」ということではないでしょうか?

オーストラリアで被ばくした兵士たちのほとんどは、核実験後の自らの病気や、子ども達が抱えた病気を、被ばくによる影響だと政府に認めてもらえていません。
彼らは、国の指示に従って、粛々と任務を遂行したのだと思います。
政府は、危険だとは言わなかった・・・政府を信じて、働いた。なのに、政府は「被ばくとの因果関係が科学的に証明されていない」という理由で、彼らの訴えを退けています。
ニュースの文中には、バチェラーさんが死産を経験後、病院で(自分の精子について)検査をしたが「病院は彼の医療記録を破棄し、彼は軍によって他の州へ転勤させられた。」とあります。

これは、オーストラリアが極悪非道のヒドイ国だからで、まともな今の日本ではこんなことはありえない!と考える人もいるかもしれませんが。。。


福島県では、事故当時18歳以下だった子ども達約36万人を対象に、甲状腺の検査を行なっています。
その昨年末の時点での結果が発表されましたが、それによると167人の子どもに甲状腺がん(または疑い)がみつかったそうです。
これまで、子どもの甲状腺がんは「100万人に1人」程度と医学界では認められてきましたが、福島県のケースでは、さまざまな要因の加味してもその数十倍は多いのではないか、と専門家も指摘しているそうです。

また、そのうちの47人は、2巡目の検査でがんがみつかりましたが、およそ1~3年前に受けた1巡目の検査では「問題なし(A1,A2)」と診断されていたそうです。
(この短期間でこれだけ甲状腺がんが進行するものなのでしょうか?)

この結果に対し、有識者会議・県民健康調査検討委員会の座長、星北斗・福島県医師会副会長は、「これまでの知見で判断すれば、現時点で放射線の影響とは考えにくい」と述べており、原発事故が甲状腺がんの原因である可能性を否定する姿勢を変えていません。
理由として、チェルノブイリ原発事故での甲状腺がんを比較して、「福島県民の方が被ばく線量が低い」「甲状腺がんが4年以内に発症することは考えにくい」「チェルノブイリで多かった乳幼児の甲状腺がんがみつかっていない」などをあげています。

しかしながら、その理由は正しくない、と批判する専門家もいます。

私のような素人考えでは、原発事故があったというのに、従来の数十倍の数の甲状腺ガンがみつかっていることに、なぜ放射線被ばくの影響の可能性を頭から否定するのか、、、むしろ不思議に思います。
レベル7の原発事故という特殊な原子力災害があったのだから、本来であれば、それも考慮に入れて慎重に検討するのが、ごく自然のような気がするのですが。

また、この甲状腺検査(福島県民健康調査)では、結果の詳細を、受診者やその親が直接医師に聞くことは許されておらず、後に手紙で「A1」「B」などの判定が送られてくるだけ、、、という話も聞いています。

たとえ被ばくをしたとわかっても、自分の健康状態とその被ばくとの因果関係を知ることはできない、という状況が実際にあります。

 


原発事故を経て考えたこと

原発事故の放射能問題に対し、私なりに理解したことは、

「国は私達個人の人生を守ったり幸せにするためにあるんじゃないんだ。」

ということです。

福島原発事故以来、

「放射線の影響は考えにくい」「被ばくとの因果関係は認められない」

国の組織や専門家の、健康への影響に対するこういった言い回しを、何度も耳にしてきたような気がします。

国には、国を存続するための思惑があり、それは私達国民の個人の人生の幸せや充実とは、まったく別のものだと気が付きました。国の方向性と個人の幸せがうまく一致している限りはよいけれど、原発事故のような究極的な出来事が起きた場合、時に私達国民は国によって(逆に)危険にさらされたり、切り捨てられる可能性があるのだな、と思いました。

時として、私には、国が最大限の対策や調査や検討を尽くすことなく、放射線被ばくの健康被害を否定しているように見えてしまうけれど、本当の健康や安全とは別のところに判断があるのだろう、あってもおかしくはない、と私は考えるようになりました。
国が「安全だ」「問題はない」と言った時に、それは、私達個人の健康や幸せを保証していることと同義ではない、ということなのです。

それは、どの国であってもそのような危うい性質をはらんでいるのだろう、と思いますが。


そんな中で、私達の人生ってなんなのか?自分の本当に大切な人達と、どんな人生を生きて行きたいか。。。を夫婦で話し合い、私と夫は3年前、日本を離れようと決意しました。
日本という国が、当たり前のようにそっと私達を押し込んできた「幸せの枠組み」を、無条件に受け入れ続ける自分自身に、疑問を感じたというか。
その枠組みから「落ちこぼれ」て、生きて行けるのだろうか?という不安はあったけれど、どちらにしても生きるってことは、たいへんな活動だから・・・そこから出てみる方の道を選びました。

日本を離れてみたら、そんな枠組みとはまったく別の幸せや、価値観で成り立っている社会があり、そこで生きている人々がいました。
今までとは違う世界に触れ、私は本当に多くのことを学んでいます。
そして、日本で暮らしている人達にも、そのことを伝えたくて、私はブログを書いています。


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Chieko
2013年より、西オーストラリア・パース在住。
7歳の息子、15歳の娘、夫と4人暮らし。

オーストラリアをテーマにしたライター。得意分野は、食、生活、子育てに関すること、子連れでの観光・旅行(キャンプ)。
趣味は料理・ガーデニング・DIY・音楽。

オーストラリア生活で私が学んできた英語のことと、大人の英語勉強法についてつづるブログ「話す英語。暮らす英語」も更新中。
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