今日はパースは嵐のような天気でしたが・・・
パース日本人学校&兵庫文化交流センターでは、本日、子ども祭りが行われました。
子ども連れ、家族連れで、楽しまれた方もいらっしゃると思います。
Ninja Cuisineが出店し、たこ焼きなどを販売しましたが、私のプリンも一緒に販売させていただきました。いつもより個数多めに作りましたが、おかげさまで完売とのこと・・・ありがとうございました!
買えなかった方、ごめんなさい。またの機会にぜひよろしくお願いします♪
さて、前回の投稿のつづき。
西オーストラリア・ゴールデンアウトバックでキャンプ旅。
旅の中で最も胸を打たれた光景と、最後のハプニング(汗)まで・・・。
Dalgaranga隕石クレーターからWalga Rockへ
翌日は、目的であるDalgaranga 隕石クレーターを見に行く日。
キャラバンパークの人が、付近のマップをくれて、ちょっとした観光案内をしてくれました。
クレーターにいくなら、ついでにWalga Rockも見てきたらよい、とのこと。そしてCueという町へ抜けて戻ってくるのがおススメルートだ、と教えてくれました。
↑もらったマップ。
(ちなみに、Google mapでは、この道もクレーターもWalga Rockも出てこない・・・)
町を出たら、Cueまでの道はずっと未舗装の道。
朝ごはんを食べながら、お昼用にサンドイッチを作り、食料と水を多めに車に積み込んで、出発。
町の北の外れに大きな給油スタンドがあり、そこでしっかり給油も済ませました。
いよいよ、Dalgaranga隕石クレーターに向かいます。
乾いた土ぼこりを巻き上げながら、不安になりながら(笑)オフロードを走っていったその先にあったものは・・・。
Dalgaranga隕石クレーターについての詳しいことは、旅行記(1)を読んでくださいm(__)m
なんとか、今回の旅の目的だった隕石クレーターを見ることができ、達成感を味わった私達(笑)。
さらに道を進み、Walga Rockをめざします。
・・・やっぱり何もない、土の道。
広大なブッシュランドに、ところどころ大きな岩の山が見えます。
何の目印もない、地図を見てもイマイチ判然としない。ナビにも何も映し出されない。
一体、自分達が今、どのへんを走っているのか、ぜんぜんわからないまま・・・ただ、そこに道があることだけを頼りに、進んでいきます。
あまりにも雄大すぎる自然のど真ん中にいると、なんだか不安になってしまうなんて、私って(文字通り)小さい人間だ(汗)。
のしのしと道を横切る、大きなトカゲに遭遇。
娘「かわいい~♪」
夫と二人で、「Walga Rockって、どこ?」「通り過ぎてないよね???」「たぶんまだだと思う」
と言いながら、走っていると。。。
ゲートを発見。
『WELCOME TO WALGA ROCK』
って書いてある!
ここだ!
小さめのウルル?Walga Rock。
Walga Rock。
周囲は5km、長さは約1.5km、という、巨大な花崗岩の一枚岩。
オーストラリアの巨大な一枚岩といえば、ノーザンテリトリーにあるウルル(またはエアーズロックとも呼ばれる)が有名ですよね。
オーストラリア国内で最も大きい一枚岩は、西オーストラリアにあるマウント・オーガスタス(Mt Augustus)、2番目がウルル/エアーズロック(Uluru/Ayers Rock)、そして3番目に大きい一枚岩が、このWalga Rockなんですって。
このWalga Rockを含む一帯は、現在においても、地元のアボリジナル住民にとって、文化的・精神的にとても重要な場所であることが、登録されています。
アボリジナルの人々というのは、18世紀にイギリス人がオーストラリアに入植を始める前から、何万年も前から、このオーストラリア大陸に住んでいた人達のことをいいます。
このWalga Rockの大きな特徴の一つとして、アボリジナルの人々による古い壁画(hand painting)が残されており、それを間近で見ることができます。
Walga Rockのエリアへは、ゲートがあります。車での進入は自由ですが、自分自身でゲートを開け、通った後は閉めます。
また、このエリアおよびアートワークをレスペクトしてください、との注意書きがありました。
岩の近くで車を止めます。・・・木陰に止めた車がこんなに小さく見えるくらい(↓わかる~?)、このWalga Rockは大きいのです。
さらにゲートを入り、アボリジナルの人々が残したアートワークがある洞窟に行くことができます。
壁面いっぱいに、いろんな模様や、何かをかたどった絵が描かれていました。
これらのペインティングは、放射性炭素による測定によると、およそ1万年前からあるものだと言われており、へび、エミュー、カンガルー、ブーメラン、手型、、、などが描かれていると言われています。
その他は、波打った線、同心円、重なった線、などのモチーフを描いたペインティングがほとんどです。
描画に使われている濃い赤の色素は、近くにある黄土鉱山の黄土が使われており、白い色素は粘土のかけら?だそうです。
壁画は、色あせたものが、いくつもいくつも重なって描かれていました。
壁画のある場所は、えぐれた壁のようになっていて、岩に沿ってかなりの距離がありました。
すごく見ごたえがありました!
もしかしたら、広大なブッシュランドの中で暮らしていた昔のアボリジナルの人々は、こうした場所で雨風や強い陽射しをしのぎながら、風化しにくい場所を選んで絵を描いたのかな・・・なんて考えました。
他の壁画と比べ、異色の雰囲気を放つこの、船の絵。
17世紀に西オーストラリアの海で座礁したドイツの船に乗っていた乗組員が描いた?
19世紀に入植者や物資を運んできた船が描かれている?
など、専門家の間でもいまだ意見が一致していないそうですが、海岸から300km以上も内陸の土地で、なぜこのような船が描かれたかは、依然としてミステリーなんだそうです。
よく言えば「高度に文明化された社会」で生きている私達。だけど、この自然の中で、ひとたび携帯がつながらず、たとえば車が故障してしまったら、私は生き延びることができるだろうか・・・それはきっと、とっても難しいことに違いない、と思いました。
このような厳しい自然環境の中で、何万年も自然とともに生きてきた人々がいた・・・アボリジナルの人々は、特に、自然や大地の存在を重要視し、文化や芸術や価値観にそれを反映させてきました。土地や物を所有する、という考え方がなく、人々の間で共有し、住まいを固定せず季節や環境の変化に応じて移動するなど、独自の生活様式を築いていたそうです。何万年も続いてきたということは、自然と調和した社会を持続させてきた、ということですよね。。。
実際にこのような場所に身を置いてみて、それは本当にすごいことで、尊ぶべきことだな、と思いました。
その彼らの生活を、ヨーロッパから来た人たちが侵略し、文化やライフスタイルを浸食していった歴史は、よく知られるところです。
それだけでなく、時に西洋から来た人々は、自分達に比べアボリジナル文化をレベルの低いものとみなし、虐げてきました・・・それはオーストラリア政府によって、長い間、公的に、残酷な形で行なわれていた時期もありました。アボリジナルの人々は、物理的に侵略されただけでなく、人としての尊厳を奪われ、おとしめられてしまった過去があります。
これについては、私自身これから、少しずつ学んで行きたいと思います。
今私達が得意げに生きている社会。お金が儲かるとか、高級な場所に土地を持っているとか、何なのだろう・・・そしてそのために自然をどんどん壊し、自分の周りだけを居心地良くすることに熱中している。
でも私達はみんな、この貴重な地球の自然なしには生きて行けないし、そのくせどんなにお金持ちだって、この雄大な自然に裸で放り込まれたら、簡単に死んでしまうだろう。便利な物に囲まれて、それを優れたことだと思って生きている私達は、バカみたいにもろくて、矛盾した存在だ。
これから私たち人間は、何を本当に尊ぶべきで、何を手放していくべきなんだろう・・・。
そんなことを思いました。
すでにWalga Rockには先客がいて、岩の上を登っている人達もいました。
私達も登ってみようかと思ったけど、特に登るための場所などはないようだったので、私達はあきらめましたが・・・上からの風景はどんなだったんだろうなぁ~。
あたりは静まり返り、鳥たちの鳴き声だけが、耳に心地よく響き渡っていました。
春のワイルドフラワーが気ままに咲き乱れ、平和的で厳かな、偉大な光景だと思いました。
すばらしい場所でした。
その後、予定通りCueという町へ出て(ようやくトイレが!)、休憩を取った後、Mount Magnetへ戻りました。
夕ご飯。
「ツナとにんじんの簡単炊き込みご飯」のレシピを応用し、ツナとコーン缶といんげん豆を使って作ったピラフ。
その日は早めに夕食を済ませ、早々とテントに入り、みんな夜7時には寝てしまいました。
(疲れてたんですね~)
帰り道で起きた、予定外の出来事とは?
帰る日。
予定通りに、軽く朝ごはんを食べ、テントをたたみ、Mount Magnetを後にします。
Mount Magnet からGeraldtonまで、道は一本。(その名もGeraldton-Mount Magnet Rd)
やっぱり何にもない、まーーーーっすぐな道。
前回、リースフラワーを見に来た、Pindarという場所までやってきました。
その時は、「なーんにもないところ」って思ったけど、今回は、東からPindarに近づいてくると、道路沿いの景色が一面のブッシュランドから、小麦?の畑に変わってきました。人の手が感じられる景色というだけで、すごく町に近づいた感じがしました。
午後2時ごろGeraldtonにつき、お昼ご飯を食べようと思ったけど、その日は祝日だったため、お店が軒並み休み・・・。カフェ系もお昼までで閉店。ちょっと焦りましたが、なんとか昼食を食べることができました。
忘れず給油も満タンにして、帰路に着きます。
無事にキャンプが終えられて、クレーターまで行けて、よかったね~。
ジェラルトンでランチを食べる場所探しに苦労したことが、唯一予定外だったよね(笑)。
と、その時の私達は思っていました。
が・・・
そういえばその日は、朝から車のバッテリーの警告ランプがついていました。
でも、運転を始めてしばらくしたら消えたので、「荷物を積む時に電気をつけっぱなしにしちゃったせいかな?」くらいに思っていました。
その後も、1、2回、ランプがつくことがありましたが、携帯の充電をやめたり、エアコンを弱くすれば消えたので、そのまま走っていました(周りも何もないところだし)。
ところが、パースまで後100kmくらいかというところで、再度バッテリーのマークが点灯。
エアコンを止めても、消えない。
さらに、夜になって暗くなり、雨も降りだしてきました。ヘッドライトをON、ワイパーをON。
いよいよ、バッテリーランプが消えない・・・。
そのうち、他のマークも点灯し始め・・・。
運転している夫も焦りだし、私も急いで車のマニュアルを調べ出すも、どうしたらよいかもわからず・・・。
Ginginという町に入る道があったので、とにかくそこでストップすることにしました。
「なんとかそこまで走ろう!走って・・・!」
そしてGinginへ入る道を曲がったところで、、、車が動かなくなりました(冷汗)。
とりあえず、ハイウェイのど真ん中じゃなくて、よかった・・・。
すでに辺りは真っ暗。
ふと見ると、ガソリンスタンドが見える!
そして、まだ人もいる!
不幸中の幸い。。。
何が起きたのか何なのか、もう私達はわけがわかりません。
夫と娘と私と3人で、交代しながらガソリンスタンドまで車を押しました。
そこにたまたまいた集団の人達が、集まってきて手伝ってくれました。
そして、「バッテリーがおかしいみたいで、動かなくなっちゃって・・・」と言ったら、なんとびっくり、その中の一人が、メカニック(車の修理をする人)だったのです!
その場で少し見てもらったところ、「バッテリーは大丈夫そうだけど、オルタネーターが故障してるかも」ということでした。
エンジンが動くと、このオルタネーターが回って発電が行なわれ、それがバッテリーを充電するしくみらしい。でも今はオルタネーターが動いていないため、バッテリーが充電されなくなってしまった・・・と言う感じ。
「オルタネーターの修理か交換が必要だろうけど、今は夜だし、どうにもならない。
でも、Ginginにはメカニックがいるから、明日見てもらってね。」
ということでした。
そしてわざわざ、メカニックの連絡先を調べて、メモをくれました。
何が起きたのかまったくわからなかった私達にとって、とりあえずなんとなくでも、原因がわかって、少し救われました。
しかもこの町には、メカニックがいる!
さらに、夫がガソリンスタンドの人に事情を話し、「今夜はここでステイさせてほしい」とお願いしに行ったところ、なんと、そこのすぐ隣にキャラバンパークがあり、そこで泊まっていいよ、と言う話に!
これって、ツイてるっていうの???とにかくありがたい・・・。
その日の夜は、そこで泊まりました。
ここで、多めに持っていったお菓子や水などがあったので、一晩空腹をしのぐことができました。最も、息子以外は皆あまり食欲もなく、疲れ切って、食べる気にもなりませんでしたが。
そして翌朝、、、なんと、そのガソリンスタンドで、メカニックが勤務していることがわかり、朝一番で見てもらうことができました。
なんていうラッキー!
結局、修理してもらうことはできませんでしたが、バッテリーを充電してもらい、エアコン等を一切停め、パースまで80kmを走り切って家に帰りつくことができました。
また、Ginginの町では、携帯もちゃんとつながったため、夫は会社の上司にも連絡を取ることができたし、いつもお世話になっている日本人のメカニックの方にも連絡を取って、相談に乗ってもらうことができました。
よかった・・・
自宅には午前中にたどり着き、日本人メカニックの方が午後には来て、オルタネーターを交換してくださいました。本当に助かりました。
はーぁ。
まさか帰り道、しかもパースから100kmも離れていないところまで来て、こんなことになるとは思いませんでした・・・。
走行距離からすると、オルタネーターの摩耗は十分起こり得る状態だったそうです。
ただ、定期点検ではわからないらしい。一応、定期点検はちゃんとやってきたんですが。
今回は本当に色んな幸運が重なり、無事に帰ってこられたけど、今まで私達が走って来た道を考えると、ちょっとゾッとしました・・・。
今回のキャンプ旅は、色んなことを学ぶよい機会になりました。
今回体験したこと、感じたことを生かして、これからも安全に、色んな場所を旅してみたいと思いました。