昨日、息子が5歳になりました。
というわけで、一日早かったけど、週末に誕生日祝いをしました。
オーストラリアでは、子ども(だけじゃないのかもしれないけど)の誕生日は人をたくさん呼んで、盛大なパーティをするようですね。
・・・が、色々と考慮した上、今年はいつもの通りに(笑)家族だけでこじんまりとお祝いしました。
息子のうれしい一日
日曜日、昼間は息子のリクエストで、レゴを買いに行きました。
いつもは、レゴ売り場に行っても、買ってもらえません。
「これ、ほしいなーほしいなー」といいながら、いつも我慢して通り過ぎる、レゴ売り場。
ですがこの日は、好きな物が買える(と言っても、値段にもよりますが・・・)!
だって、誕生日プレゼントだから。
しかも、クリスマスセールのシーズンに入り、Targetではレゴが全品20%OFFでした。これは親にとっても助かる♪
あれこれと考えた挙句、息子はPOLICEのヘリコプターを選びました。
その他にも、色々と買い物をして帰りましたが、いつもなら「I want to go home right now!」と英語でクレームし始める息子も、この日はじっとがまんして付き合っていました。
そして、夕ご飯は、息子のリクエストで「からあげとトマト」。
肉ギライの息子ですが、なぜか唐揚げは食べます。
(でも焼いただけのチキンは食べない・・・)
というわけで、気合を入れてトマトをたくさん切って、からあげをたくさん作りました。
そして、ディナーの後は、ケーキタイム。
息子のリクエストで、「Happy Faceのケーキ」。
・・・どうしたらいいかわからなかったけど、こんなふうにしてみました。
ホワイトチョコを溶かして、お花の形に固まらせ、その上に溶かしたダークチョコレートで顔を描きました。
中は、ココア風味のスポンジケーキに、シーズンに入ったばかりの(これがまた甘くない)イエローピーチをトッピング。
ろうそく5本たてて、家族でハッピーバースデーを歌って、息子が火を吹き消します。
家族みんなに「5歳おめでとう!」と言われて、とっっっってもうれしそうな息子でした。
今までもこんな風に、誕生日を祝って来ましたが、息子がおそらく『誕生日』というものを理解したのは、これが初めてなんじゃないかな、と思います。
それは1年に1回やってくる特別な日で、その日、自分は1歳大きくなるのだ、ということ。
5歳になった息子にkindyで起こったこと
そして息子が喜びに包まれて眠りについた後・・・
私はカップケーキ作り。
こちらの学校では、誕生日にケーキを持っていくと、先生がクラスでケーキをシェアしながらちょっとした誕生日祝いをしてくれる、という習慣があるようです。
(うちの学校ではアレルギー対応のためナッツ類は使用禁止となっています。)
他の子も、誕生日の時にケーキを持ってきて、お祝いをするのを見てきた息子。
そんな日は、「〇〇(お友達の名前)は5歳になったんだよ。」
と、家に帰ってきて教えてくれていました。
それをついに、自分がやる時が来た!
私もちょっと疲れてしまい、デコレーションまで凝れなかったけど・・・
翌日の登園日、これを持たせました。
その日、お迎えに行ったら、先生が、「みんなでカップケーキを食べました。子ども達が喜んで食べていました。」と教えてくれました。
そして、
「(息子は)とても興奮して、ボク5歳だよ!ボク5歳だよ!と、みんなに言っていました。5歳になったから、次はpre-primaryに行くんだよ、ということで、今日は1時間だけpre-primaryで過ごしましたよ。」
と教えてくれました。
西オーストラリアでは、基本的にkindyは4歳児、pre-primaryは5歳児、となっていて、6歳児からYear1となって本格的な学校教育が始まるんですね。
kindyは義務教育ではなく、通う日数も通常の半分(週2日または3日)。
pre-primaryからは義務教育で、週5日(primary schoolと同じ時間)通います。
そしてこの2年間は、primary schoolで学習を始めるための準備段階、という位置づけになっています。
で、うちの場合ですが、kindyとpre-primaryは一緒に活動することも多いようで、結構流動的な感じです。(この辺のシステムはよくわかっていませんが、)年度頭にkindyに入った子でも、生まれの早い子などは成長の様子をみて、年度の途中でpre-primaryに移ったりしているみたいです。
pre-primaryは大きい子がいるところ。そして自分も5歳になったら、大きくなったら、pre-primaryに上がるんだ・・・そんなふうに息子は理解しているんだと思いますね。
誕生日を迎えるということ、歳が1つ上がるということ・・・大きくなるとはどういうことか、を、息子なりに知ったんだと思います。
そしてそれが、とてもうれしいこと、喜びであることを。
こんなふうに「5歳になってうれしい!」という息子の気持ちを受け止めてくれたkindyの先生方に、感謝です。
5年の間のこと
息子は予定日より1ヶ月ちょっと早く生まれ、出生体重がギリギリ2000gのいわゆる低出生体重児でした。
出産後しばらくは保育器に入って、入院していました。
無事に生まれたとはいうものの、やはり正期産で生まれた子よりも小さく、成長も遅れていたので、1歳を迎えるまではずっと心配していました。
無事に1歳を迎えることができ、活発になってきて、「これからいっぱい遊んでグングン育ってほしい」と思っていたところで、東日本大震災と原発事故が起きました。
原発から放射性物質が環境中に大量放出されるという、類いまれな出来事に対し、子どものこれからの長い未来に対する影響を推測するには、情報も、計測も、過去の知見も、経験も・・・あまりに何もかもが不足しているんじゃないか、と私は思わずにはいられませんでした。
当時埼玉に住んでいた私は、原発事故の後、息子を公園で遊ばせるのが不安でした。
上の娘が1歳くらいの頃は、本当によく外へでかけ、公園で遊ばせました。
お友達も作って、よく一緒に遊びました。
でも息子は、あまり公園で遊ぶ機会もないまま、一時転居先の東京で2歳を迎えました。
そして香川で迎えた3歳。。。
住居を転々としたため、決まったお友達もできず、私自身も引っ越しの理由や放射能汚染の話題などに触れるのが億劫で、人付き合いに消極的になり、先も見えない、ただ毎日が過ぎていくだけの日々でした。
正直この時期、息子とどうやって過ごしていたか、あまり記憶にありません・・・。
そして、パースで迎えた、昨年の4歳。
パースでの最初の1年間は、家族みんなにとって間違いなく大変な年でした。
そんな中で、息子は家で私と過ごしていましたが、やはり生活が落ち着かないことと、私自身が英語でのコミュニケーションに不自由だったこともあり、今振り返るととても苦労していました。近所のplaygroup(就学前の子どもと親が参加する育児サークルみたいなもの)に時々参加していましたが、やはり会話も難しいし、歌も知らない歌ばかりだし、楽しみつつもハードルが高かったなぁ、と振り返ります。
息子もちょうど、コミュニケーションというものを学び始める時期でありながら、相手が(英語で)何を言っているかわからない、という戸惑いがあったんじゃないかと思います。
もちろん、周りの人達はみな親切で、温かく接してもらえて、本当にありがたく感じました。
しかしながら、コミュニティとのつながりが途切れた中で子育てすることは、とても心細く物足りないものだ、という思いは私の中で強く残りました。
幼児期の息子に、十分な経験をさせてあげられたか、というところで、私はいつも自信がありませんでした。
色々とさせてあげたいと思いながら、うまくさせてあげられていないのではないか・・・と思いながらも、状況的にどうしようもなくて。。。
けれど今年、息子にとってはkindyという、彼自身の初めての社会生活の場ができました。
それからの成長というのは、明らかに今までとは違うものだ、と感じます。
まあ今でも、「kindyに行きたくない(だってつまらないから)」「ダンスはしたくない(だって疲れるから)」などとブツブツ文句をいいながら通っていますが(笑)、それでも先生やお友達からたくさんのことを学び、目を見張るほど成長していることがわかります。
最初は心配した言葉のコミュニケーションについても、息子はぐんぐん英語の語彙を増やし、表現を吸収して、今では先生や友達とも問題なくやりとりができているようです。入園した当初は、言葉で(英語で)うまく表現できないことにストレスも感じていたでしょうが、息子自身が時間をかけて乗り越えてきたと思うし、それを忍耐強くサポートしてくれたkindyの先生方には、やっぱり感謝ですね。
もっと大きな問題を抱えたとしても、不思議ではなかった・・・そう思うと、息子がこんなふうに、うれしさいっぱいの笑顔で5歳を迎えられたことに、親として感謝の思いであふれます。
これからもゆっくりと、自らのペースで育っていってほしい。
それをしっかりと大切に見守っていきたいと思います。
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